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家庭菜園や庭の記録。日本各地の自然環境や身近な植物(時々珍しい植物)を紹介しています。

「がんを受け入れる」ということ

「がん」と診断された時は、最初にも書きましたが、一瞬真っ白になり、自分事というよりかは他人事のような感じでした。「あー、癌なんですか」といった感じです。

そしてその後の大学病院での様々な検査、正確な診断、治療方針の決定…、ジェットコースターに乗ったかのように、いろいろなことが急速に進みます。この時点ではさすがに自分事ですが、「がん」を受け入れたかと言うと、どうなのかな…。頭では当然受け入れていますが、心の方では…。

私はどちらかというと感性が低く、喜怒哀楽は激しくない方で、特に怒と哀についてはあまり表面に出すことはなかったような気がします(あくまで自己分析です😅)。そんな私でも、大学病院のジェットコースターに乗った頃は、怒ることはないですが、自然と涙がこぼれることがよくありました。この頃の日記(がんと診断されてからつけるようになりました)を読み返すと、恐れ、不安、落胆、哀しみといった感情が日替わりで書き綴られていました。当時の私の心境はかなり不安定で、「がん」を完全には受け入れられていなかったようです。

大学病院では、がん患者さんの不安な気持ちにより沿えるよう、緩和ケアマネージャーさんがいらっしゃいました。私も入院してすぐの時に、緩和ケアマネージャーさんとお話する機会がありました。とても親身になってもらい、ありがたかったのですが、その時は私にとってはあまりにも衝撃的な出来事があった後だったので、「何を話していいか、何を話せばいいのか…」といった状態で、あまり話はできなかったような気がします(最初は当然かもしれませんが、今なら話が弾むかもしれません)。

「がん」の受け入れ方は、緩和ケアマネージャーさんのような誰かと話すことによって気持ちが落ち着くこともあれば、音楽を聴いたり、体を動かしたり(病人なのでこれはなかなか厳しい)、うまいものを食べたり…、人それぞれだと思います。私はと言えば、物を書くこと、日記をつけることによって、落ち着きを取り戻し、「がん」を受け入れていったような気がします。時間的には、治療が始まって少したったくらいから落ち着いてきた感じでした。「がん」を受け入れるということは何だろうなー、「しょうがない」という感覚が個人的にはしっくりきます。自分のがんの症状は気にはなるけど、気にしてばかりいても仕方がない、といった感じでしょうか。「あきらめ」とはちょっと違って…、かっこよく言えば「不動」という感じかな…。まあ、今でも時々不安がよぎるので、なかなか「不動」という訳にはいきませんが…。

「がんを受け入れる」のは、時間薬じゃないですが、時間が経過すれば特に何もしなくても受け入れていくものなのかもしれません。逆に、なかなか受け入れられないということもあるのかもしれません…。あくまでも個人的な意見ですが、前向きに次のステップに進むには、早めに「がん」を受け入れるのがいいかな、と思いました。

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今日の二枚。久々に家に帰ってきたら玄関先で満開のトサシモツケが出迎えてくれました。雨で花弁はだいぶ散ってしまいましたが、この花付き見事でしょう😆。トサシモツケ花の形成については、いまいちわからないんですよね…。この株とは別な株が庭にもあるのですが、そっちは殆ど花をつけないんですよね…。剪定はそんなに変わらないはずなのに…。光条件が違うのかな🤔。